大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和55年(刑わ)2910号 判決 1980年10月30日

主文

被告人を懲役三年に処する。

押収してある手提金庫一個を被害者A産業株式会社に還付する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、父親の経営するうなぎ屋の手伝いをして毎月約二〇万円の給料を得ながらその殆んど全部を馬券を購入したり、かけ麻雀をしたりして遊興費に費消する生活を送っていたが、昭和五五年九月二一日昼ころ二万円を使って馬券を購入したものの全部はずれてしまい、所持金も少くなってしまったことから気が晴れないまま自宅で飲酒をしながらすごしていたが、かけ麻雀の借金三〇万円の内一〇万円を月末に支払わなければならないことを思い出し、又飲み屋の借金もあることを考え、まとまった金を得るべくその金策について考えあぐねている内、近所のA産業株式会社が建物も立派で金がたくさんありそうであることに考えが及び、この日は日曜日で社員が出勤していないし、社長は年輩で、その息子も小柄であることを考え合せ、ついに同会社から金員を窃取し、場合によっては強取することの決意をするに至った。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年九月二一日午後九時三〇分すぎころ、自宅調理場から犯行に使用するため出刃包丁一本を持ち出し、ドライバー一本と共にずぼんの後ポケット内に入れて、東京都港区○○○×丁目×番×号A産業株式会社(鉄筋コンクリート造三階建)に赴き、一階出入口のシャッターを押し上げて同社内に入り、同社三階事務室において、同社所有の手提金庫(現金一万五七五一円ほか領収書通帳六冊、封筒二八枚、約束手形耳二〇枚、鍵一一個在中)一個を盗り、同所から同社一階出入口のあけたままの右シャッターのすぐ内側まで運び出してこれを窃取し、更に同社二階社長室に戻り、同所において金品を物色中、同日午後九時五五分ころ、たまたま同所に同社々長A(当六三年)が入って来るや、同人の背後から同人の頸部を左腕で抱え込み、所携の前記出刃包丁を取り出し右手に所持して同人の脇腹にこれを突きつけて「静かにしろ、金を出せ、出さねば殺すぞ」と申し向けて脅迫し、同人の反抗を抑圧して金品を強取しようとしたが、家人に発見されたため逃走も、その目的を遂げなかったものである。

(証拠の標目)《省略》

(強盗未遂罪を認定した理由)

検察官は、被告人が本件手提金庫を一階出入口シャッター内側まで運んだ時点においては未だ右金庫の占有を取得せず、その後被害者に判示のとおりの暴行、脅迫を加えたうえ、逃走の途中右金庫を持ち去ったことによりはじめて被告人は右金庫の占有を取得したことになるので、強盗既遂の罪が成立すると主張する。

しかし、本件金庫については、一階出入口シャッター内側まで運んだ時点において既に被告人は占有を取得して、窃盗罪が成立していると解すべきである。

成程、検察官主張のように右時点において金庫は未だシャッターの内側で建物内にあり、被告人はその後も金品を物色しているので窃取行為を完了した意思でなかったことは認められる。しかし、被害者方の建物は主としてA産業株式会社の用に供せられているとは言うものの一階倉庫、二階社長事務室、被害者家族の居室、三階経理等事務室としてそれぞれ独立の用途に供せられ、二階、三階の各事務室には施錠のできるドアーが設置されている三階建の建物であって、被告人は本件金庫をその三階の事務室から一階の出入口まで運び、シャッターの内側とは言え、シャッターからへだたることわずか二、三〇センチメートルの所に置いたものであり、又そのシャッターも被告人が押し上げて入った時のままの状態にあったのである。被告人の供述によれば右金庫をいつでも持ち出せるように置いておいたというのであるが、右金庫の形状を考えればまさにそのような状態で置かれてあり、現に被告人は右シャッターの出入口から逃走する際、右金庫につまずきその存在に気づきこれを持ち去ったのである。又、被告人は確かになお金品の物色を継続しており、その意味において検察官主張のような窃取行為を完了した意思ではなかったであろうが、右金庫について窃取行為は完了した意思であったのである。このような場合、右時点において、被告人は右金庫の占有を取得した、即ち自己の事実的支配のもとに置いたと認めるのが相当である。

そうすると、被告人は他に何らの財物をも盗取していないのであるから、本件は窃盗既遂後に強盗の着手があり、その強盗が未遂に終った場合の擬律の問題となる。

検察官は窃盗着手以後の行為を包括して強盗既遂の一罪が成立すると主張する。

しかし、強盗の罪は暴行又は脅迫の手段をもって他人の財物を強取することにより成立するところに特徴があるのであるから、こうした定型性が認められない以上強盗既遂の罪が成立する理由がなく、又窃盗既遂と強盗未遂とを包括的に評価するとしてもそれによって窃盗既遂の犯罪事実の一部が強盗未遂の犯罪事実の一部になる理由もない。検察官の主張は採用できない。

本件はいわゆる居直り強盗の事案であり、社会的事実の一個性から窃盗既遂の罪と強盗未遂の罪との二罪が成立し、両者は併合罪の関係にあるとするのも妥当でなく、本件のように強盗未遂に窃盗が先行することは強盗未遂の類型的な社会的事実であると認められるので、強盗未遂の構成要件は既に先行する窃盗を考慮して定められているものとして、強盗未遂の一罪が成立し、先行する窃盗は独立して評価の対象にならないものと解するのが相当である。

以上の理由により本件は強盗未遂の一罪が成立するものと認めた。

(法令の適用)

罰条 刑法二三六条一項、二四三条

法律上の減軽 刑法四三条本文、六八条三号

押収賍物の還付 刑事訴訟法三四七条一項

(量刑の理由)

被告人は世間の常識から言えば極めて多額の小遣銭を使い、何一つ不自由のない生活環境にあったにもかかわらず、なおも小遣銭に窮し、いかにも短絡的に本件犯行を敢行したものであって動機において酌むべき点がないばかりか、犯行の態様も又極めて悪質である。即ち、被告人は被害者宅の状況を十分知悉し、これを計算に入れ、犯行に使用するため出刃包丁を準備して被害者方に至り、所携のドライバーを使用して机のひき出をあけ金品を物色し、更に被害者に対して所携の出刃包丁をその脇腹に終始つきつけ、金員のある所まで案内させようとしているのであって金品盗取に対する被告人の強い意思が窺えるうえ、これに応じた被告人の本件犯行における行為は危険極まりないものであると言わざるを得ない。被告人の責任は重大である。

被告人はこれまで前科なく、真見目に仕事をしてきたこと、反省の情を表明していること、又本件犯行の両親に与えた衝撃は大きく、両親は今後の監督に固い決意を有していること等の有利な事情もある。

そこで、本件犯行の経緯、態様から見て実刑に処するのはやむを得ないところであるが、以上諸般の事情を考慮し未遂減軽のうえ、主文のとおり量刑した。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 北島佐一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例